ままならない

SNSで失った日本語能力をブログで取り戻す

スタッフか演者か

人を閉じ込めるお仕事もキャリア3年となります。

どんな公演でもアンケートを書いてもらうのですが、結構読んでます。
「あの男女カップル、女の子は友達って書いてるのに男の子は恋人にマルをつけているぞ!」
楽屋でそんな声が飛び交うのは日常茶飯事です。お気をつけあそばし。


正直そんな話はどうでもよくて、というより全く見ていなくて、あのお客様かな、という特定のためにしか見ていない。

フリースペース、めっちゃ読みます。
ありがとう って書かれてたら嬉しいなって。やっててよかったなあ、って1番思える瞬間だから。


でもでも、
「スタッフさんありがとうございました」
って書かれてたら、まだまだだなって思う。

いかなるポジションにいても、スタッフって思われたら負けだと思う。

例えば何かのキャラを演じているのなら演じきれていないという意味になるし、存在を消さなければいけないのなら目立ってしまったということになるし、ザ・スタッフなポジションならば名前を覚えてもらえるくらい楽しませることができなくちゃいけないと思う。
名前でなくとも「お姉さん」と「スタッフ」の間には明らかな違いがある。



このあいだのとある公演は、
お客様よりも自分が楽しかったんじゃないかってくらい素敵な時間だったんですが、

そこでいろいろ考えました。


イベント力って企画力・運営力だけじゃないのではないか。

目の前にいる人数やコンセプトやらによりますが、その場に応じた変化をもたらせるのも重要じゃない?そこまで画一的なものが必要か?

毎度変化があるから イベント なわけで、常に同じルーティンしかしないなら人間である必要性が全くないんだよね。映画見てればいいじゃん?


ゲーム性の確保のためだったり公演を円滑に進めるためだったりの最低限のマニュアルは必要だけど、楽しんでもらえるならなんでもいいと思うんだよね。

暗躍ラインってなんなんだろう?どうしてみんなそれにとらわれるの?こちらが提示したゲームを行ってなくてもその空間にいて他のことして楽しんでるのならば(もちろん他の人に迷惑をかけない範囲で)問題なくない?

私たちはゲームを提供してるわけではなくて物語体験の場を作っているのだから、例えばワンピースとコラボしているときに全く謎を解かずにゾロにキャーキャー言っててもいいんだよね。なんなら謎を解いていないのに世界に入ってくれてとっても嬉しくない?全くそのアニメの中の人間でもないのに、勝ちじゃない?


そういったバイタリティを持った人間になりたいし、任せてもらえる人でありたい。

そして何よりもそういったことを認める存在でいたい。