ままならない

SNSで失った日本語能力をブログで取り戻す

理解するのではなく選択をするということ


周りの子を見てるとイキイキしてるなあって。

みんなやりたいことがあって、
それを就活でアピールしたり
研究して卒論書いたりする。


わからない。自分が何をしたいと思っているのか。
わからない。何を根拠にみんなはやりたいことを主張できるのか。
わからない。いま何をすべきか。


本当になにもわからないんです。
もはやなにがわからないのか、わからないし、わからないってなにがわかっていないのかもわからない。

わからないをわからないで説明するともうそれは混沌です。無ではない。わからないというものがあることはわかっているから。


でもみんな、わかってるわけではないと思うんですよね。
中にはわかってる人もいるかもしれない。けど大半は、そうだと思い込んでいたりわかったことにしていたりするだけなんだと思います。みんなそれに決めたんだ。

さて、どちらが幸せなのかはわかりません。が、私には決断力がない。
わからないならわからないなりにでも、わかってる範囲でのベストな選択もできるけど、それを行うための資料も持っていない。

もし周りの人がわからないということをわかってなくて、私がわからないということをわかっていたとしても、それでも私は周りの人よりも優れていることにはならない。


選択から逃げているだけにすぎないのだから。






あと最近1番疑問なのは、
このブログ、この時点でおおよそ600字書いてるんですが、
なぜレポートになるとこのようにスラスラ書くことは厳しくなるのでしょうか