ままならない

SNSで失った日本語能力をブログで取り戻す

空間には重さがある

 

褒められたよ~╰(*´︶`*)╯♡

嬉しかったのでコピペしちゃう。

 

のめみさんはカウンター内の位置どりと身体の向きなどがとても良い。L字型のカウンターに一人で立つときには、「複数の人に同時に話しかける」とか、「すべてのお客に対して身体を開く」とか、「あらゆる方向のアプローチを常にキャッチできる態勢でいる」とか、そういうようなことが肝要になる。
 演劇をかじると初期にたいてい、「その角度じゃこっちの客席からは見えないよ」とか「それだとこっちにいるお客さんに伝わらないよ」といったダメ出しを受けると思う。原則としてはお客さんから死角になってはいけないし、お客さんを死角にしてもいけない。それは歌を歌ったりダンスをしたり、広くステージに立つ人はみな意識することだろう。こういうお店も同じだと思う。教壇も。
 というようなことを営業後に本人に伝えたら「それは(夜学バーのHPにある尾崎とかいうやつが書いたそういう文章を)読んだからです」と返ってきたが、経験上、読んだり教わったからといってすぐできるというものではない。天性のものか、あるいは他の分野ですでに培っていたのではなかろうか。彼女はけっこう「舞台に立ってきた人」のようだし。


夜学バー 4/13の日報より

 

実は以前、「私を評価してください」と頼んだことがあった。どう見られているか不安で、いつ指摘を受けるかと少し怯えており、ちょっとだけいい子ぶりっ子をしていたからだ。

そんな状態は打破すべき!と思い、「ならば先に評価を聞いていれば安心できるのでは?」と考えた。

その時は期待したような答えは返ってこなかった。うむ、まあ答えが返ってこないだろうともある程度予測していたので、そういう意味では期待通りだったのかもしれない。

(そのあと別の"文章"を読んでいろいろと納得した部分があったので、たぶん今は怖気付いていない。単純に打ち解けただけなのかもしれないけど。)

 

だからこの言及はとても嬉しい。

 

 

確かに意識はした。でも一挙手一投足意識してたわけではない。ただただ「だれもさみしい気持ちにならないように」とだけ気をつけた。

 

そういう意味では、任意の場において、"うすいところ"とか"さみしいところ"とか"あいてるところ"に気付きやすい性質を私は持ち合わせてるかもしれない。

これが天性のものかどうかはわからない。ただ、「そういったときにどうしたらよいか」ということはかなり学んできた気がする。

 

空間には重さがある。人数比だとか声量だとかもしかしたらオーラとかもあるかもしれない。家具の配置もそう。そんな空間において自分がどこにいれば均衡が取れるか、みたいなことは考えられるタイプだと思う。

 

私は中学生の時、演劇部に所属していた。かなりガッツリやっていた。実は他校に私のファンクラブがあったりもした!

演劇部の普段の基礎?練習のひとつに「いかだ」というものがあった。舞台を1枚のいかだと見立て、その上を複数人で歩く。ばらばらに。そのいかだが沈まないように。

しばらくすると演出?担当が手を叩くので、そこでフリーズ。空間のバランスが取れていたかのチェックを受ける。

当時はつまらない練習だなと思った。何に役立つかいまいちピンと来なかったし、それよりも演技がしたかったし。

中学を卒業して以来一度も思い出さなかったこの練習のおかげかどうかはわからない。もしかしたら基礎の基礎の基礎の部分を担っているのかもしれない。きっと一度も意識したことがない人よりはうまくできるのだろう。

 

その練習では人間の位置しか見ていなかったが、本来それだけで重さは決まらない。じっとしている人と動いている人といれば後者の方が重たいし、静かな人とうるさい人といればこれまた後者の方が重たい。教室で考えるとイメージがつきやすいのではないだろうか。ほら、なんか"濃い"場所ってあるでしょう?

 

ひとりになりたい、静かな方がよい、ということももちろんあるが、基本的には重たい方へ自分も加担することの方が楽だ。マジョリティに属しているという安心感もある。うすい方に行くのは目立つし、もしその空間を濃くしようとするのであれば、かなりの労力がかかる。学校なんてまさしくこの価値観で成り立ってると言っても過言ではない。

 

 

しかし、自分が何らかの空間・場・体験を提供する立場であるのならば、どこか一部だけを重たくするだなんてそんなことは到底許されない。

 

場をならすこと(うまい表現が見当たらないので暫定でこれにする)、これが結構難しい。正解はないし、別の人では喜んでもらえたことでも、他の人では地雷だった場合だってある。失敗することだって多々ある。だから別にできないことは責めない。でも少なくとも、誇りをもってその立場を担っている人は、何かしらの努力をしているものだと思う。

 

"全員が気持ちよく帰れるように"の精神がたぶん私には備わっているし、たぶんそんなに意識しなくとも自然にそう努められる。やばい、なんだか私があたかも 得意です! みたいな表明になっちゃってるけど全然そういうことではないです…できなくても許して…。

 

この力はひとえに、"人を閉じ込めるお仕事"で培ったものだと断言できます。

revereine.hatenablog.jp

ちょこっとだけここにも書いてた。

 

名古屋に住みながら毎週末東京へ出向いてまでこの仕事をしていた時期がある。

テーブルに演者が1人。対面にお客様が6人。このお客様方は知らない人同士のこともあるし、お連れ様の場合もある。

決められたゲームではあるが、まあ、この1人の演者次第でお客様の気持ちは如何様にもなる。

謎解きというものは決して万人受けするゲームではない。加えて、置いてけぼりになりやすいゲームでもある。周りが見えず、突っ走ってしまう人もいる。

 

 

ここまで書いて気付いた、ああそうか、こことあそこは一緒なんだ。だから立ちたいと思ったし、だから自然にできたんだ。

 

(何の話かわからない人のために一応URLを貼っておきますね。カジノロワイヤルからの脱出【2017年6月追加公演決定】-リアル脱出ゲーム-)

 

 

6人にはそれぞれの重さがある。それらが混ざり合って、そのテーブルの重さが生まれる。

私はあくまでその世界の1キャラクターみたいなものなので、あまり介入しすぎるのもよくない。それは「お姉さんがやってくれた」になってしまうから。気付かれないギリギリのところで手を差し伸べて、重さを均一にする。

他の人がどのようにしていたのかはわからないが私は、「突っ走りすぎる人を止めること」(止めるようなことになった経験は3回もない)と「置いてけぼりの人を救うこと」をそれはそれはもう心がけていた。

置いてけぼりの人を救う方法はたくさんある。別に無理して謎を解いてもらう必要はない。「工夫」以外の言葉が見つからないけれど、(具体的な方法については明言を避けたい。裏側のネタバレみたいな行為、あんまり好きじゃないんだよね。)そんなありきたりな言葉じゃ表せられないくらいに思考を張り巡らせていた。それがめちゃくちゃ楽しかった。そしてそのスキルは私の武器のひとつになったのだと思う。

 

 

ある時、お客様がテーブルに1人だけのことがあった。どうやら6人分チケットを買い占めて私に会いに来てくれたらしい。なんと幸せな人間なんだ私は…

その時は全力で楽しんだ。私の方が楽しんでいたくらいに楽しんだ。そういう時は調整役なんて忘れて、目の前の人がもう最高の気分になってもらえるように、ただそれだけを遂行すればいい。そのためにありとあらゆることを考えればいい。

 

その思考もまた、おもしろい。

 

"場をならす"ことと正反対のことに思えるが、たぶんこれは場をならせない人にはできないんじゃないかな。場をならせないけど場を楽しませることができる人のことを、きっと人は「自己顕示欲が高い」だとか「自己満足だ」とか言うのではないだろうか?

 

 

待ってくれ!あたかも私がめちゃくちゃデキるヤツみたいな言いっぷりだが、これらは全て私のただの理想であり、あくまで心がけである。「いやいやお前できてないやんけ」というご意見はごもっともではあります。どうかお許しを。

 

これからも精進致しますので、皆様、ご指導ご鞭撻の程、何卒宜しくお願い申し上げます。

 

 

 

何かと私は事あるごとにあのお仕事関連のことに結びつけてしまいがちだけど、わたし(=のめみ)の原型を作ったのは間違いなくそれなので、避けては通れない道なのです。

 

たぶんきっと、その道の先にある未来を歩むときの名前を「のめみ」としているのだと思う。